陰キャりょうこのこころの宝箱

人生一度きり!生き様で人のこころを動かしたい!自分がもっているカードを活かす働き方、陰キャアラフォー主婦です。ASD、ADHD、マイノリティ、スピリチュアル等を綴ります。

【雑記】父に感謝できるようになった34歳の私

昔は嫌いだった父親。

何故ならば私と似ている特性を持っているから。

同族嫌悪という物なのかはわからない。

家族を省みない、うまく行かないとキレる、

そんな父に反抗したことがある。





28歳の頃、父に同じように私は激昂した。

父は私の勢いにパニックになったのか、

台所に逃げ込んだ。

私は言い負かしてやったぞ

という優越感に浸っていた。






でも父に対決したのはよくないこと

と思っていたが、私は対決しなければ

前に進めないような気になっていた。

遅れた反抗期の様だ。

物凄く激しい言い合いに28年越しに勝った。

(気になった)






小さい頃から能力を矯正する

育て方で、私は小学生3年生の時に

私が今生きている世界で17歳まで生きるのは

物凄く辛いものになると悟った。

何かにつけて、理解のし難い父の言動に対して

母も、妹も、私も避けていた。

母は激昂する父から守ってくれた。






親戚は全員遠方で、夏になったら父の実家に家族

で帰省する。

なぜ子どもにが父になついて

いないのか義理の家族から母は攻められる。

中でも私ははっきりと父の親戚に

父は嫌いと、父には寄り付かず、母の側を

離れなかった為、母の立場を悪くする

張本人だった。







そんな関係性の中、母が亡くなった事は

子どもと父の間に入っていた母という緩衝材が

なくなってしまった。

これは仕方がないので、

どうにか関係を再構築する必要があった。

私はとても子ども染みていた。

父との関係は

対峙できたと思う。



嫁にいくと、そんな嫌いな父でさえも、

協力な味方に感じます。







私が結婚して5年たった今は、

一人で住む父親の元へいく。

母の死後、両親の結婚記念日には今も一緒に

ご飯にいく。

この時間は癒された。ほんとにありがたい。





と、初めて思った。




義理の母や、姉の対応(受動攻撃)から考えると

そういう嫌な扱いを受けない場所があると思ったら

ホッとした。これにつきます。






仕事でいじめられた時、

父の元同僚とが私の先輩としていたその人は

みんなの前で、私をいじめてきた人を

全力で怒ってくれた。





発達障害傾向があるわたしは、

私をいじめてくる人から守

やはり間接的ではあるが父のお陰です。

そこは感謝します。





父を通して昔の嫌だった事を振り替えって

感謝する事ができました。