陰キャりょうこのこころの宝箱

人生一度きり!生き様で人のこころを動かしたい!自分がもっているカードを活かす働き方、陰キャアラフォー主婦です。ASD、ADHD、マイノリティ、スピリチュアル等を綴ります。

【仕事】下手なことはできない年齢になったかも

今、わたしは34歳だけど、




もう、こども染みたトラブルは起こせない
笑えない年齢になった。






でも、一度、本気で上に訴える経験ができて
良かったと思う。








言いたいことは言えて良かった。









偉そうにしている男性をみるとイライラが
とまらない。








施設長は他のパートさんに対して
集中して嫌みを言ったりしている。








私にも嫌がらせのようにやってくる。









やっぱり、言いやすい人に言うのは
自己愛が肥大して自信がないんではないか。









そして、ドラマ、同期のサクラの中で
サクラも言っていたが、






教わっていない人を先生と呼ぶことはできない。





デイサービスの施設長で柔道整腹師だからといって
接骨院でもないのに
先生と呼ぶことはできない。







わたしのこころは嘘はつけなかった。

わたしの社会性は育つのだろうかw

【仕事】施設長といいあいに

今日やってしまったー




社会人失格なのかもしれない笑
デイサービスの施設長に食って掛かってしまった。





教えてもらってないことを怒ってくるのは
パワハラではないか。







介護さんも看護師のもう一人のパートの方と来たら、自己紹介もなし。







私のバイタル測定についてクレームが来たとのこと。







失敗だけさせてっていうのは本当に受動攻撃だと思う。







施設長に関しては、大切にされていないと感じる。






話し合いの最中に、こしをおる。






わざと中断させる。







これこそカバートアグレッションだと思う。








大人の対応をしなければならなかったんだと
思うが、話しても無駄だと感じる。






私の特性がいけないのかもしれないが、
なぜだか、我慢ならなかった。




自己愛が強いタイプの上にあたってしまったようだ。






発達障害傾向の方はは、仕事の引きが悪いことが多くないですか?








客観性がないと苦労しますよね、、






人に聞くしかないんだろうけど。。。










眠れず、車からも一時間降りれなかった。











いろいろ私のこころはしんどかったんだろう。











また職探しかな。
それでいいのだ。

【発達障害】発達障害当事者会に参加しました

発達障害の当事者会に参加してみた事を
振り返りたいと思います。




今年の春に当事者会に参加しました。




目的や対象が違うものを2回行きました。





物凄く緊張しました。




自分がどのような扱いを受けるのか
どんな人たちがくるのか

自分を発達と認める事が怖かったです。





グレーゾーンと言われてから3年経って
ようやく参加することができました。








とある集まり1

馴染みの固定のメンバーが仕事や生活などを
近況報告していくというものでした。



名前は偽名でしたが、
何故か涙が出てきてしまいました。



他の参加者の方には
ご迷惑をかけてしまったかもしれません。




診断を受けている方、受けていない方、
手帳を使っている方、使っていない方、

様々でした。







とある集まり2

人数が20名ほどで、
困り事と話し合って発表するというような
グループワークディスカッションでした。



私はこちらの方が参加しやすかったです。




どちらも、終われば速攻解散なので



気が楽です。




これはみなさんの捉え方は
それぞれだと思うのですが、
(むしろ、障害とか障害じゃないとか正直どうでもいい)





自分の理解の為には
名前がついてホッとした事も確かです。



しかし、私は同じような困りごとを持つ人に
会うための名前のようなものという認識です。





私はグレーゾーンというくくりの一応一員ですが、
特に今のところは支援は受けていなくてもいいんだと思えました。




この世の中では生きていけないと
判断したときにまた考えようと思います。






その集まりは
自分がそこに定期的に通いたい仲間や
雰囲気というわけではなかったけど、





当事者の人に会いたくなったら
また行くことがあるかもしれません(^^)




この時代に、
意識を変えたり、折り合いつけたりして、
独身の方、そうではない方いろいろで
その方たちはサバイブしてみえて





ひとりじゃないんだ✨





とその安心感を得た方が大きかったです。








泊まりで遠方の方もいました。






私の人生は障害がメインの人生ではなく、
私はわたしの人生を生きてきています。








何度も何度も振り替えって、自問自答です。

【仕事】初日のありえない職場

新しい職場に入ったが、洗礼を受ける。

誰も教えてくれない。

無視をする。会話に入れない。

まとまりがない。

申し送りない。

自己紹介もない。説明もない。

前の内容と同じだよねと何度も言われ、

ハードルをあげられる。

小さな町なので、転職すると、前に一緒に働いて

いた人や、配偶者に出会う事が多い。

今回も例外ではない。

デイサービスの柔道整腹師の妻は、

前職で一緒に働いていた理学療法士なのだ。

しかし、その妻は管理者からのパワハラ&マタハラ

で辞めさせられたという経緯がある。

怒った夫はデイサービスに乗り込んで、訴えるぞ

と言ったそう。

その事情をなんとなく知っている私がいるのは

微妙なのだ。

しきりに、その方は私を牽制してくる。

「キツい看護師がいたらしい。もう一人は優しい。

昼家に帰って、確認してこよ」と昼休憩は

家でとる。デイに戻ったら

そして、「良い方だから大丈夫」と

なんだか、初日から嫌な思いをする。

どうやらわたしは謂い方だったらしい。苦笑


お昼ご飯はなるべく家で食べよう。

そして次のデイサービスを探そう。

発達傾向があると、

行間が読めなかったり、気持ちが後から出てきて

苛々したりする。

なるべく、いいように使われないように

気を付けよう。

【雑記】自分に責任をとる

義母と義姉に、私がもし離婚する時に

何か言うことができるのなら

伝えたい事を考えてみた。






人をおとしめたり嘘ついたり、無価値化したり

身近なところでの優越感に浸らず、

人の幸せを羨望で嫉妬せず、

自分の力で幸せを掴んで下さい。









なんて事を考えてみました。

【雑記】義母、義姉の受動攻撃をかわす方法を考える

今日も旦那と口喧嘩。

義母、義姉が私にカバートアグレッションすると

私は相変わらずイライラ沸々としてきてしまう。

自分の中で納得できない状態で

思い出して、イライラ嫌な感じが2年くらい続い

ている。



私はある意味病的なのかもしれない。

砂糖も止められない。

砂糖が切れるとイライラ、ソワソワする。





今日も旦那と2ラウンドほどしてしまった。



だからこそ、やられたことを振り返り、

客観的に見ることは大切だと思う。



私は盆の集まりの日付を義母から教えられず、

私の母の盆の集まりができなかった。

おそらく義母お得意の無価値化でしょう。

その後、なんでうちの集まりできなかったの?

という無神経さ。






旦那は自分といると幸せになれないからと

離婚を提案してくる。

結婚は旦那としたものであって、

私を攻撃していいはずない!

私も自己愛が肥大している。

義母も義姉もパーソナリティーをこじらせて、

ここまできてしまった。








自分が苦しすぎて、

マニュピレーター、受動攻撃性についての本を

調べ、図書館で借りたり、ネットで買ったり、

なんとか知識を得て対応しようとしている。

でも、他人は変わらない。

変えられるのは私だけ。





なぜ、こんな身内を限られた範囲の中で虐げるの

か疑問である。


むしろ、身内で限られた範囲でしか権力を示す事

ができないのか?





小さい範囲でのお山の大将になって優越感に

浸っているのか。







カバートアグレッションを寄せ付けない方法

まずは、こちらの情報を出さない事。

相手の羨望感をかきたてない事。

なるべく当たり障りのない会話をする事。







自分の事は自分で守るしかない。

【雑記】父に感謝できるようになった34歳の私

昔は嫌いだった父親。

何故ならば私と似ている特性を持っているから。

同族嫌悪という物なのかはわからない。

家族を省みない、うまく行かないとキレる、

そんな父に反抗したことがある。





28歳の頃、父に同じように私は激昂した。

父は私の勢いにパニックになったのか、

台所に逃げ込んだ。

私は言い負かしてやったぞ

という優越感に浸っていた。






でも父に対決したのはよくないこと

と思っていたが、私は対決しなければ

前に進めないような気になっていた。

遅れた反抗期の様だ。

物凄く激しい言い合いに28年越しに勝った。

(気になった)






小さい頃から能力を矯正する

育て方で、私は小学生3年生の時に

私が今生きている世界で17歳まで生きるのは

物凄く辛いものになると悟った。

何かにつけて、理解のし難い父の言動に対して

母も、妹も、私も避けていた。

母は激昂する父から守ってくれた。






親戚は全員遠方で、夏になったら父の実家に家族

で帰省する。

なぜ子どもにが父になついて

いないのか義理の家族から母は攻められる。

中でも私ははっきりと父の親戚に

父は嫌いと、父には寄り付かず、母の側を

離れなかった為、母の立場を悪くする

張本人だった。







そんな関係性の中、母が亡くなった事は

子どもと父の間に入っていた母という緩衝材が

なくなってしまった。

これは仕方がないので、

どうにか関係を再構築する必要があった。

私はとても子ども染みていた。

父との関係は

対峙できたと思う。



嫁にいくと、そんな嫌いな父でさえも、

協力な味方に感じます。







私が結婚して5年たった今は、

一人で住む父親の元へいく。

母の死後、両親の結婚記念日には今も一緒に

ご飯にいく。

この時間は癒された。ほんとにありがたい。





と、初めて思った。




義理の母や、姉の対応(受動攻撃)から考えると

そういう嫌な扱いを受けない場所があると思ったら

ホッとした。これにつきます。






仕事でいじめられた時、

父の元同僚とが私の先輩としていたその人は

みんなの前で、私をいじめてきた人を

全力で怒ってくれた。





発達障害傾向があるわたしは、

私をいじめてくる人から守

やはり間接的ではあるが父のお陰です。

そこは感謝します。





父を通して昔の嫌だった事を振り替えって

感謝する事ができました。